アルファベット・ストリートは、プリンス1988年のアルバム、ラブセクシーの収録曲で、アルバムからの最初のシングルにもなった曲です。元は中テンポのブルースだったのですが、リズムを変えてファンクへと仕立てられ、ベスト盤にもたびたび収録されるほどの人気曲になりました。
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稀代のミュージシャン、プリンス(1958-2016)について。主に海外の情報を載せてゆきます。
アルファベット・ストリートは、プリンス1988年のアルバム、ラブセクシーの収録曲で、アルバムからの最初のシングルにもなった曲です。元は中テンポのブルースだったのですが、リズムを変えてファンクへと仕立てられ、ベスト盤にもたびたび収録されるほどの人気曲になりました。
生前のプリンスは多くの人々と関わりを持ったわけですが、その中でも特別な存在といえるのがシーラEでしょう。プリンスにとってシーラEは長年の友人であり、一時は恋人でもあり、さらには音楽活動も共にしていたわけで、その3つの立場を兼ねていたという存在は他にいません。シーラE本人もそのことは強く意識していたようで、数年前に出た自伝でも細かく触れられていました。
10代だったプリンスがワーナーという大メジャーとのレコード契約を獲得できたのは、もちろん本人の才能あってことでしたが、その裏でさまざまな戦略を立てていた人物の力も大きかったといえます。それがプリンスの初代マネージャーだったオーウェン・ハズニーで、彼が物心両面で援助したことによってプリンスがめざましいデビューを飾ることができたといっても過言ではありません。
生前から予告されていた、プリンスの自伝は最近になってようやく刊行されましたが、その少し前に出たのがモーリス・デイの自伝でした。さっそく見てみたのですが、驚いたのはあちこちに「プリンスの発言」なるものが散りばめられており、まるで一種の「架空対談」のようなものになっていたことでした。
プリンスのプライベート盤というと大量にあるわけで、その中には信じられないほどに素晴らしい作品があったりするのですが、ライブ盤に限っていえば、その筆頭に挙げられるのが『スモール・クラブ』(Small Club 2nd Show That Night)でしょう。
前回に引き続き、プリンスの作品管理人であるマイケル・ハウ氏のインタビューをお届けしましょう。ハウ氏が選曲を担当した『1999』デラックス盤の発売にあわせて今年11月に公開されたもので、氏がどういう立場で何をしているのか、そういうところが率直に語られている、なかなかに面白い内容です。